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あの広岡監督が泣いた。何より怨敵巨人を倒しての優勝がうれしかったのだ。そのためにヤクルトを徹底した管理野球でまとめあげた。結果、球団創立29年目で初めてセリーグの頂点にたった。1番の新外国人ヒルトンは打ちに打って前半戦終了時に打率.351の大活躍で文字通りチームのけん引車として働いた。そしてこのヒルトンにつられるように他の打者も打ち、チーム打率は広島に次ぐ.279をマーク。そして最終戦の130試合目に完封されるまで129試合連続得点の日本新記録を樹立した。前半戦不調だった大杉も終わってみれば3割30本90打点をマーク。そして大砲マニエルも3割30本100打点をマーク。打だけでなく、投も獅子粉塵の活躍だ。エース松岡が16勝2セーブと終盤戦の抑えもこなした。左の安田も15勝。左右の両輪に加えてクセ玉の鈴木が13勝。井原が2ケタの10勝と続いた。シーズンMVPは首位打者こそ逃したがここ数年の打のリーダー若松が、沢村賞は松岡が堂々と受賞した。かっての弱いヤクルトがうそのようだ。

No.1.jpg クラウチングスタイルで構える
がむしゃら外人。ヤクルトV1の使者。
デイヴ・ヒルトン(Dave Hilton)
('80阪神へ移籍)
年度セ優勝所属試合打数安打本塁打盗塁打率
1978年ヤクルトヤクルト128501159196.317
1979年広島ヤクルト105399103191.258
1980年阪神へ通算233900262387.291

No.jpg '74年ドラフト2位(福岡第一高内野手)
当時珍しい2番打者の三塁手
角 富士夫 
*78年は船田選手がスタメンで、角選手は控えでした
年度セ優勝所属試合打数安打本塁打盗塁打率
1975年広島ヤクルト
1976年巨人ヤクルト25511420.275
1977年巨人ヤクルト2317300.176
1978年ヤクルトヤクルト873228872.273
1979年広島ヤクルト481534471.288
1980年広島ヤクルト972957475.251
1981年巨人ヤクルト120431121182.281
1982年中日ヤクルト126473127132.268
1983年巨人ヤクルト8931479112.252
1984年広島ヤクルト130445119111.267
1985年阪神ヤクルト122429105151.245
1986年広島ヤクルト802487061.282
1987年巨人ヤクルト681663650.217
1988年中日ヤクルト982094860.230
1989年巨人ヤクルト962827550.266
1990年巨人ヤクルト11236611062.301
1991年広島ヤクルト1062856770.235
1992年ヤクルトヤクルト79661320.197
1993年ヤクルトヤクルト1413300.231
1994年巨人ヤクルト10000.000
引退一軍通算成績---15214565119612819.262

No.3.jpg '70年ドラフト3位(電電北海道 外野手)
イチローのいない時代のセの安打製造機
若松 勉
チャンスに強い小さな大打者。舞ノ海を思わせる
 
年度セ優勝所属試合打数安打本塁打盗塁打率
1971年巨人ヤクルト1122748336.303
1972年巨人ヤクルト1153651201420.329
1973年巨人ヤクルト1284381371712.313
1974年中日ヤクルト1304771492018.312
1975年広島ヤクルト12345313286.291
1976年巨人ヤクルト127485167179.344
1977年巨人ヤクルト1224411582013.358
1978年ヤクルトヤクルト1204601571712.341
1979年広島ヤクルト120438134178.306
1980年広島ヤクルト1164271501516.351
1981年巨人ヤクルト9532394135.291
1982年中日ヤクルト112390121116.310
1983年巨人ヤクルト1124131391511.337
1984年広島ヤクルト11439712996.325
1985年阪神ヤクルト114443133122.300
1986年広島ヤクルト11940011061.275
1987年巨人ヤクルト55692630.377
1988年中日ヤクルト73662310.348
1989年巨人ヤクルト55491120.224
引退 --- 一軍通算成績206268082173220151.319

No.4.jpg '78には10打席連続安打を記録。パワーだけでなく
上手さも備えた大砲。赤鬼と恐れられた。
チャック・マニエル(Chuck Manuel)
翌年近鉄へ移籍し、その猛打で近鉄を初優勝に導いた
年度セ優勝所属試合打数安打本塁打盗塁打率
1976年巨人ヤクルト8426364111.243
1977年巨人ヤクルト114358113423.316
1978年ヤクルトヤクルト127468146391.312
1979年近鉄(パ)近鉄97--37-.324
1980年近鉄(パ)近鉄129--48-.325
1981年広島ヤクルト8124664121.260
引退---ヤクルト通算40613353871046.290

No.5.jpg 1965年東映入団(丸井→'55東映→'75ヤクルト)
月へ向かって打つ、 向井さんじゃない、大杉だぁ。
大杉 勝男
セパ両リーグで各1000本づつ安打を打ったのはこの人だけ
1945年3月、岡山県生まれ。内野手。右投右打。背番号51・3・51(東映)→8(ヤクルト)。 1968年に「月に向かって打て」の伝説を生み出し、34本塁打を放って日本を代表するスラッガーとなる。張本と共に東映の主軸として数々のタイトルを得た。
●1970年に打率.339、44本塁打、129打点で本塁打王・打点王の2冠王。 ●1971年にも41本塁打で2年連続本塁打王に。151安打で最多安打も記録。 ●1972年には101打点で2度目の打点王にも輝いている。この年は40本塁打。 ●1975年、ヤクルトに移籍。
●1978年には打率.327、30本塁打、97打点を残し、ヤクルト初優勝に大きく貢献。 ●日本シリーズでも.310、4本塁打、10打点の活躍でヤクルトを日本一に導き、シリーズMVP。第7戦での左翼ポール際への本塁打は相手側の長い抗議のせいでシリーズ史に残る伝説となった。1981年、通算2000本安打を達成。 1983年には史上初となる両リーグ1000本安打を達成している。しかし、この年、2年前から悩まされていた不整脈が快方に向かわず、現役を引退した。
1997年、殿堂入り。 豪快なスイングと優れた打撃技術で本塁打を量産し、セ・パ両リーグで超一流の成績を残した。数々の武勇伝を残した暴れん坊でもあった。
通算成績(実働19年):打率.287、486本塁打、1507打点(歴代7位)、2228安打。本塁打王2回(1970・1971)打点王2回(1970・1972)ベストナイン5回(1967・1969〜1972)ゴールデングラブ賞1回(1972)日本シリーズMVP1回(1978)最多安打(1971)
数々の伝説
●伝説となった疑惑の本塁打
1978年10月22日、ヤクルト×阪急の日本シリーズは3勝3敗の第7戦を迎えていた。 ヤクルトが1-0のまま、6回裏の攻撃。1死後、打席に入った大杉は、阪急のベテラン足立光宏の内角シュートをうまくとらえ、打球は左翼ポールの頂点より2メートルほど下を通過してスタンドに飛び込み、レフト線審は本塁打との判定を下した。 すると、その判定に納得できない阪急の上田利治監督が「ファウル」を主張。レフトスタンド近くまで行っての猛抗議は何と1時間19分にも及んだ。結局判定は覆らず、大杉の本塁打は認められた。大杉は、8回裏、阪急逆転の期待を背負ったエース山田久志から今度は文句のつけようのないソロ本塁打をレフトスタンドへ放った。この活躍により、ヤクルトは4−0で勝ち、念願の日本一を獲得。大杉は、シリーズMVPに選ばれている。
●「さりし夢 神宮の杜に かすみ草」
大杉はパリーグの東映に入団し、ヤクルトに移籍するまでの10年間で1171本もの安打を放っている。ヤクルトに移籍してからも全く大杉のバットの勢いは鈍ることなく、現役を引退する1983年までの9年間に1057本の安打を放っている。この年も本塁打を21本放ちながら大杉は引退を決意する。その2年前から悩まされていた不整脈が治らなかったためである。 引退会見で「さりし夢 神宮の杜に かすみ草」という句を詠んでいる。これは、「ひまわり」と例えられた長嶋茂雄や、「月見草」と自ら例えた野村克也のように、大杉も、自らを目立たぬ「かすみ草」と例えたのだ。
そして、「さりし夢」とは前人未到であった両リーグ200本塁打の快挙を目前にして病気で引退せざるを得なかった無念をもにじませている。 大杉は、パリーグで285本、セリーグでは199本の本塁打を放っていて、両リーグ200本塁打達成まであと1本に迫っていた。 しかし、結局、200本目は最後まで出ず、引退試合後のインタビューでファンに向かって「あと1本と迫っておりました両リーグ200本塁打ですが、皆様の夢の中で打たせて頂きますれば、これに勝る幸せはありません」と語った言葉は多くの人々の涙を誘っている。
リーグをまたがってこれほど長く活躍した選手はいない。張本もセでは3年活躍したのみだ。 名球会の中でも唯一大杉が両リーグ1000本安打達成選手だ。

No.6.jpg '70年ドラフト10位(愛知高 外野手)王選手より
スイングスピードが速いといわれた左の功打者。
 杉浦 享 
ヤクルトの2度目の優勝を現役で体験した息の長い選手
年度セ優勝所属試合打数安打本塁打盗塁打率
1971年巨人ヤクルト―
1972年巨人ヤクルト23461103.239
1973年巨人ヤクルト2737400.108
1974年中日ヤクルト2225510.200
1975年広島ヤクルト42701421.200
1976年巨人ヤクルト691062610.245
1977年巨人ヤクルト831244065.323
1978年ヤクルトヤクルト125388113177.291
1979年広島ヤクルト1264231202210.284
1980年広島ヤクルト1234081272018.311
1981年巨人ヤクルト1224011161613.289
1982年中日ヤクルト1304741361422.287
1983年巨人ヤクルト1234461321319.296
1984年広島ヤクルト1093529984.281
1985年阪神ヤクルト121401126341.314
1986年広島ヤクルト421353350.244
1987年巨人ヤクルト117375114243.304
1988年中日ヤクルト122416106200.255
1989年巨人ヤクルト701243462.274
1990年巨人ヤクルト721644080.244
1991年広島ヤクルト51912861.308
1992年ヤクルトヤクルト1811210.182
1993年ヤクルトヤクルト4539800.205
引退 --- 一軍通算成績178250561434224109.284

No.7.jpg '69年ドラフト7位(駒沢大 捕手)古田の先祖様。
旧来からの捕手像を変えた頭脳派キャッチャー
大矢 明彦 
名捕手あるところに優勝あり。大矢が作った言葉だ
年度セ優勝所属試合打数安打本塁打盗塁打率
1970年巨人ヤクルト 932555261.204
1971年巨人ヤクルト12737787102.231
1972年巨人ヤクルト1203619756.269
1973年巨人ヤクルト1213556773.189
1974年中日ヤクルト130431103136.239
1975年広島ヤクルト13043610692.243
1976年巨人ヤクルト1224089374.228
1977年巨人ヤクルト852827181.252
1978年ヤクルトヤクルト1183659872.268
1979年広島ヤクルト1003218766.271
1980年広島ヤクルト11036810481.283
1981年巨人ヤクルト822134722.221
1982年中日ヤクルト812476713.271
1983年巨人ヤクルト661503921.260
1984年広島ヤクルト50772321.299
1985年阪神ヤクルト1719300.158
引退--一軍通算成績1552466511449341.245

No.8.jpg '71年ドラフト9位(三重高 内野手)宮本の先祖様。
この年から守備の人が"打"に目覚める。
水谷新太郎
三遊間の深いところから一塁送球アウト、投手は大いに助かった
年度セ優勝所属試合打数安打本塁打盗塁打率
1972年巨人ヤクルト
1973年巨人ヤクルト
1974年中日ヤクルト111001.000
1975年広島ヤクルト2411000.000
1976年巨人ヤクルト1002555314.208
1977年巨人ヤクルト1142364808.203
1978年ヤクルトヤクルト8716247113.290
1979年広島ヤクルト1002094414.211
1980年広島ヤクルト9425865215.252
1981年巨人ヤクルト11833284418.253
1982年中日ヤクルト12036894122.255
1983年巨人ヤクルト118404108319.267
1984年広島ヤクルト125429125410.291
1985年阪神ヤクルト11236997410.263
1986年広島ヤクルト9327465121.237
1987年巨人ヤクルト
1988年中日ヤクルト63811802.222
1989年巨人ヤクルト2830510.167
1990年巨人ヤクルト
引退一軍通算成績1297341985423146.250
No.9.jpg
'69年ドラフト3位松岡 弘 (倉敷高校 投手)
あの星野仙一と同郷。弱小球団ヤクルトを支えた速球エース。
当時、江夏、平松、松岡はアンチ巨人の3大エースだった。
いずれも速球は150km/h台の後半をマーク(計測できなかった)
年度セ優勝所属<試合勝数負数S数投球回防御率
1968年巨人サンケイ 2 0 1- 2 1/3 27.00
1969年巨人アトムズ43 810- 1683.70
1970年巨人ヤクルト45 412- 145 1/34.22
1971年巨人ヤクルト481415- 281 2/3 2.52
1972年巨人ヤクルト461718- 300 3.09
1973年巨人ヤクルト482118- 2952.23
1974年中日ヤクルト391715 1 257 1/3 2.80
1975年広島ヤクルト4113 9 6201 2/3 2.32
1976年巨人ヤクルト421713 42223.32
1977年巨人ヤクルト47910 7 1884.12
1978年ヤクルトヤクルト431611 2 199 1/3 3.75
1979年広島ヤクルト50 91113181 2/33.96
1980年広島ヤクルト2913 6 1 1572.35
1981年巨人ヤクルト3612 7 4 194 1/33.76
1982年中日ヤクルト34 913 3 168 3.32
1983年巨人ヤクルト351114 0 191 1/3 4.09
1984年広島ヤクルト24 1 50 72 2/3 6.56
1985年阪神ヤクルト 8 0 20 14 1/3 9.42
引退---一軍通算成績66019119041 3240 3.33

●'71年ドラフト6位 安田 猛 (大昭和製紙 投手)
抜群のコントロールで新人から2年連続防御率1位。
がんばれタブチくんで一躍有名に
年度セ優勝所属試合勝数負数S数投球回防御率
1972年巨人ヤクルト5075- 1682/32.08
1973年巨人ヤクルト531012-208 2/32.02
1974年中日ヤクルト28950130 1/33.18
1975年広島ヤクルト4416124243 2/32.73
1976年巨人ヤクルト3814132229 1/33.93
1977年巨人ヤクルト51171662143.74
1978年ヤクルトヤクルト4715104182 2/33.93
1979年広島ヤクルト1914046 1/36.26
1980年広島ヤクルト2243177 2/33.81
1981年巨人ヤクルト600079.00
引退一軍通算成績---3589380171508 1/33.26

●ドラフト5位 鈴木康二郎(日鉱日立 投手)「康二朗」に改
直球が自然に落ちる特異な投法でローテーションを担った。
王に"856号を打たれた投手"としても有名。
近鉄ではリリーフエースとしてゴロの山を築いた
年度セ優勝所属試合勝数負数S数投球回防御率
1973年巨人ヤクルト
1974年中日ヤクルト
1975年広島ヤクルト3000415.75
1976年巨人ヤクルト4325194 2/33.60
1977年巨人ヤクルト3714901843.67
1978年ヤクルトヤクルト3713311864.11
1979年広島ヤクルト378110185 2/34.26
1980年広島ヤクルト371165183 2/32.98
1981年巨人ヤクルト339801823.81
1982年中日ヤクルト31741103 1/34.02
1983年巨人近鉄425114712.28
1984年広島近鉄46541878 1/33.10
1985年阪神近鉄475212573.00
1986年広島近鉄21210354.37
引退 一軍通算成績---4148154521364 2/33.68

●'69年ドラフト2位 西井哲夫 (宮崎商高 投手)
度胸一発で打者を攻める。日本シリーズでも阪急打線に物おじ
する事なく好投、1勝を挙げている。活躍。大矢のリードが生きた投手。

年度セ優勝所属試合勝数負数S数投球回防御率
1970年巨人ヤクルト2013-64 2/32.77
1971年巨人ヤクルト2657-107 1/32.61
1972年巨人ヤクルト3295-131 1/33.64
1973年巨人ヤクルト3023-93 2/33.16
1974年中日ヤクルト3511611533.18
1975年広島ヤクルト439150178 1/33.39
1976年巨人ヤクルト3207079 2/34.84
1977年巨人ヤクルト30322583.72
1978年ヤクルトヤクルト3010166 1/36.14
1979年広島ヤクルト43320703.60
1980年広島ヤクルト29510792.73
1981年巨人ヤクルト47554943.93
1982年中日ヤクルト22031275.67
1983年巨人ロッテ3434050 1/36.08
1984年広島ロッテ3763843 2/33.50
1985年阪神ロッテ2500339 2/35.90
1986年広島ロッテ1600020 1/32.66
1987年巨人中日1100013 2/33.29
引退一軍通算成績---54263662013703.73

●'69年ドラフト5位 井原慎一郎 (丸亀商高 投手)
この年「慎一朗」に改名
相撲取り体型で150km/h台の速球を投げた。日本シリーズでも
中継ぎで活躍、貴重な1勝を挙げている。ただ活躍期間は短かった。
ヤクルト初優勝に燃え尽きた。

年度セ優勝所属試合勝数負数S数投球回防御率
1970年巨人ヤクルト501-104.50
1971年巨人ヤクルト800-11 1/35.73
1972年巨人ヤクルト1712-412.63
1973年巨人ヤクルト100-0 2/30.00
1974年巨人ヤクルト520015 2/32.81
1975年中日ヤクルト34770145 2/33.39
1976年巨人ヤクルト22290824.50
1977年巨人ヤクルト4102170 2/33.80
1978年ヤクルトヤクルト5810441333.38
1979年広島ヤクルト35644804.39
1980年広島ヤクルト1923630 2/34.65
1981年巨人ヤクルト32990166 2/34.58
1982年中日ヤクルト1913030 1/34.20
1983年巨人ヤクルト1321026 2/34.39
1984年広島ヤクルト50007 2/310.57
引退一軍通算成績---3144245158524.02

●'76年ドラフト2位 梶間健一 (日本鋼管 投手)
細身のカラダで左腕から鋭い変化球を投げ分けた。新人の年、オール
スターで3勝(未だに記録)した運の強さもあった。優勝の翌年からは
それまでの左のエース安田を継ぐカタチで二桁勝利を5回重ねた。

年度セ優勝所属試合勝数負数S数投球回防御率
1977年巨人ヤクルト44771150 2/33.34
1978年ヤクルトヤクルト4738290 2/35.34
1979年広島ヤクルト4310120141 1/35.11
1980年広島ヤクルト331580195 2/32.76
1981年巨人ヤクルト396101144 1/35.38
1982年中日ヤクルト436102127 2/34.22
1983年巨人ヤクルト4314123232 2/33.21
1984年広島ヤクルト35121121803.75
1985年阪神ヤクルト3811170189 2/34.22
1986年広島ヤクルト803022 2/37.54
1987年巨人ヤクルト3703242 2/34.01
1988年中日ヤクルト1810029 1/32.76
引退一軍通算成績---42885101131547 1/34.01

'70年ドラフト8位 会田照夫(三協精機 投手)
弱いヤクルト時代から寡黙で無駄口はたたかず淡々と投げる。
貴重なアンダーハンドの右腕は
広岡ヤクルトの3年間23勝挙げて燃え尽きた。

年度セ優勝所属試合勝数負数S数投球回防御率
1971年巨人ヤクルト3565-138 2/33.76
1972年巨人ヤクルト1603-30 1/37.80
1973年巨人ヤクルト2104425.79
1974年中日ヤクルト3502168 2/33.26
1975年広島ヤクルト35141723.00
1976年巨人ヤクルト411091177 1/33.61
1977年巨人ヤクルト40990174 1/34.29
1978年ヤクルトヤクルト2936090 2/35.34
1979年広島ヤクルト802013 1/39.69
1980年広島ヤクルト1301026 1/36.92
引退 --- 一軍通算成績27329453833 2/34.34

●'76年ドラフト1位 酒井圭一 (長崎海星高 投手)
江川より昔、怪物といわれた逸材。その名は"サッシー"。
しかし、プロでは活躍できなかった。新人の年、初の巨人戦で先発好投
したが勝てず。もしあれが1勝していたら
その後の野球人生変わったのでは……、梶間と同期。

年度セ優勝所属試合勝数負数S数投球回防御率
1977年巨人ヤクルト6020196.63
1978年ヤクルトヤクルト
1979年広島ヤクルト2403044 2/36.60
1980年広島ヤクルト2843455 1/33.11
1981年巨人ヤクルト14110205.40
1982年中日ヤクルト80009 1/37.00
1983年巨人ヤクルト1500019 1/37.45
1984年広島ヤクルト42120645.06
1985年阪神ヤクルト8000126.75
1986年広島ヤクルト20003 2/312.27
1987年巨人ヤクルト2801043 1/33.95
1988年中日ヤクルト3400050 1/32.86
1989年巨人ヤクルト500085.63
1990年巨人ヤクルト1000231.50
引退一軍通算成績---21561243515.08


ヤクルトの日本シリーズ
1992/西武VSヤクルト
  VS西武=3勝4敗  
1993年/前年の雪辱、日本一!
  VS西武=4勝3敗  
1995年/野村ヤクルトの全盛期
  VSオリックス=4勝1敗  
1997年/宿敵、西武に圧勝!!
  VS西武=4勝1敗  
2001年/若松ヤクルト日本一へ!


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