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僕の一番好きな映画はこれ。

リナ・ウェルトミューラー Lina Wertmuller

イタリアを代表する女流監督リナ・ウェルトミューラー

☻代表作『流されて…』(74年)は、一部の映画批評家やフェミニスト運動家から“女性嫌悪的”だとして批判されたが、そのことに関して本人自身はこう語っている。 “私は女性も好きだけど、それよりもっと男性が好きなのよ”と。


 一般的に女流監督は女性を描くものと思われがちだが、ウェルトミューラーの作品は男性を主人公にしたものが多い。その点についても、彼女はこう話している。 “男だ女だということは私には関係がない 。私は映画監督であり、作り手である。性別など意識したことがないわ。私たちは誰でも男性的な部分と女性的な部分を持っているものよ。そんなことよりも大切なのは、 知性であり、創造力であり、メッセージだと思う。私は女性だからとか、映画監督だからとカテゴライズされることが一番嫌いなのよ”
 無人島に漂着した男女を描いた『流されて…』は、男性が力とセックスによって女性を支配するという展開が、一部の批評家やフェミニストに強い反感を買った。 男性は左翼の貧しい召使、女性は傲慢なフェミニストの上流階級夫人。しかし、無人島のサバイバル生活で立場は逆転する。生存能力の高い男性は食料と住居を確保し、 なす術のない女性は彼にひれ伏すしかない。それでもなお自己の優位性を誇示しようとする女性を、男は力ずくで犯すことにより服従させる。だが、やがて救援隊が到着して 文明社会に復帰すると、2人はもとの主従関係へと戻ってしまう。
 そう、これは単なるセックスの物語ではなく、階級闘争の物語だ。生きるか死ぬかという極限状態に置かれなければ成り立たない階級闘争。しかし、 一旦平和が訪れてしまえば、搾取するものと虐げられるものの関係はもとの鞘に収まってしまう。それが文型社会の現実であり本質なのだ。


 1928年8月14日、ローマに生まれはリナ・ウェウトミューラーは、本名をアルカンジェラ・フェリーチェ・アッスンタ・ウェルトミューラー・フォン・エルグ・スパノル・フォン・ブラウイッヒという。スイス系貴族の家系で、父親はかなり有力な弁護士だったという。ただ、彼女自身は相当なお転婆娘で、退学歴11回というツワモノだった。そんな彼女と意気投合したのがフローラ・カラベッラという年上の女学生。このフローラからタバコの味と演劇の魅力を教えてもらったらしい。  すっかり演劇少女となった彼女は、父親の猛反対を押し切って演劇学校へ入学。卒業後は幾つかの劇団に在籍し、人形劇団の一員としてロンドンやパリへ巡業も行った。そんな折、彼女は旧友のフローラと再会。当時マルチェロ・マストロヤンニと結婚していたフローラは、ウェルトミューラーをフェデリコ・フェリーニ監督と引き合わせた。フェリーニは豪快で物怖じしない彼女をすっかり気に入り、映画『81/2』(62年)の助監督に抜擢する。  このフェリーにとの出会いが、あらゆる面で彼女の人生を大きく変えたようだ。後年の彼女の作品を見ても、そのユーモア・センスからビジュアル・センスに至るまで、フェリーニからの影響がそこかしこで手に取るように分かる。
 “撮影が終わる頃、海岸線を歩きながらフェデリコに言われたのよ。テクニックについて言う輩もいるだろう。いろいろと提案されることもあるはずだ。しかし、誰の言葉にも従っちゃいけない。あくまでも友達に話しをするように物語を語れ。語り部としての才能があれば上手くいく。それがなけりゃ、いくらテクニックがあっても無駄だ、って。まったくその通りだと思ったわ”
 その後、友人の勧めで書いた脚本“I basilischi”がエルマンノ・オルミ監督の制作会社に認められ、63年に監督デビューを果たした。この作品でロカルノ国際映画祭銀賞を受賞したウェルトミューラーは、続いて手掛けたリタ・パヴォーネ主演のテレビ用映画“Il giornalino di Gian Burrasca”(64年)も評判に。しかし、その後はなかなかヒットに恵まれず、ジョージ・H・ブラウンやネイサン・ウィッチという男性名で娯楽映画を監督したり、セルジョ・ソリーマの『狼の挽歌』(70年)やフランコ・ゼフィレッリの『ブラザー・サン・シスター・ムーン』(72年)などの脚本を手掛けたりしていた。
 しかし、シチリアにおける労働闘争と男尊女卑の風習を痛烈に皮肉った“Mimi metallurgico ferito nell'onore”(72年)が各映画賞を受賞。さらに、ムッソリーニ暗殺の使命を帯びたアナーキストと娼婦の愛を描いた“Film d'amore e d'anarchia, ovvero 'stamattina alle 10 in via dei Fiori nella nota casa di tolleranza...”(73年)がカンヌ映画祭の男優賞(ジャンカルロ・ジャンニーニ)を受賞。この作品は特にアメリカで評判となった。  そして、74年の『流されて』が、アメリカで外国映画としては異例の大ヒットを記録。ウェルトミューラー本人も“なぜアメリカであれほど受けたのかは全くの謎”と語るほどの熱狂ぶりだった。続く『セブン・ビューティーズ』もニューヨークで盛大なプレミア上映が行われるほどの盛り上がりで、配給を担当したニュー・ライン・シネマはウェルトミューラー作品のおかげで軌道に乗ることが出来たとさえ言われている。
 さらに、彼女はこの作品でアカデミー賞4部門にノミネート。中でも監督賞候補に挙がったのは女性としては史上初の快挙だった。ただ、本人曰く制作会社も配給会社もアカデミー賞の根回しについて全く知識がなかったため、何の受賞対策も講じることがなく、そのために1つも受賞が出来なかったらしい。  いずれにせよ、アメリカでもドル箱監督として認知されるようになったウェルトミューラーは、ワーナー・ブラザーズと契約を結び、ジャンカルロ・ジャンニーニとキャンディス・バーゲンを主演に迎えた“La fine del mondo nel nostro solito letto in una notte piena di pioggia”(78年)を発表。左翼のイタリア人ジャーナリストとフェミニストのアメリカ人女性の奇妙な恋愛を描いたこの作品は、イタリアでは評判になったものの、肝心のアメリカ市場では全くの不発だった。
 その後、
●ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演の『愛の彷徨』(79年)
●ベルリン国際映画祭で2部門を受賞した『殺意の絆』(86年)、大富豪のビジネス・ウーマンと野獣のようなテロリストの愛欲を描いた『流されて2』(87年)
●エイズを題材にした『ムーンリット・ナイト』(89年)
●現代の貧困と教育問題を描いてアメリカでもヒットした“Io speriamo che me la cavo”(92年)、宗教や因習によって歪曲される人間の性を描いた“Ninfa plebea”(96年)
●ナポリ王フェルディナンド一世と妻カロリーナの破天荒な関係を描いた歴史コメディ“Ferdinando e Carolina”(99年)など、マイペースでコンスタントな創作活動を続けている。  

“ 私は常に自分を喜ばせるために映画を撮っているの。それは神のためでもなければ、観客のためでもない。もちろん、批評家なんて論外よ。”と本人も語るように、彼女は決して女流監督だとか、社会派監督だとかいったカテゴリーで語ることの出来ない、非常に独特の世界観を持った映画監督だ。
自分の好きな物語だけを自分の言葉で語り続ける、いわば孤高の語り部とでも呼ぶべき映像作家なのである。


流されて…


Travolti da un insolito destino all'azzurro mare d'agosto (1974) 日本では1978年劇場公開 VHS・DVD共に日本発売済

    (P)2005 Koch Lorber Films (USA)

  • 監督:リナ・ウェルトミューラー
  • 製作:ロマーノ・カルダレッリ
  • 脚本:リナ・ウェルトミューラー
  • 撮影:エンニオ・グァルニエッリ
  • 美術:エンリコ・ジョブ
  • 音楽:ピエロ・ピッチョーニ
  • 出演:ジャンカルロ・ジャンニーニ
  • マリアンジェラ・メラート
  • リカルド・サルヴィーノ
  • イサ・ダニエリ
  • アルド・プリージ
  • エロス・パーニ

リナ・ウェルトミューラーの名声を世界的に高めた傑作。原題は“8月の青い海で奇妙な運命によって押し流されて”という意味。無人島に漂着した傲慢なブルジョワ女性と貧しい召使の男性を主人公に、主従関係の逆転から生まれる奇妙な愛憎ドラマをコミカルに描いた作品だ。  映画ファンならすぐにピンと来ると思うが、同じようなストーリーはセシル・B・デ・ミルの『男性と女性』(19年)以来幾度となく描かれてきた。ある意味、語り尽くされてきたお話と言ってもいいだろう。それが興行的に大成功を収めることが出来たのは、セックスと暴力という人間の野性本能によって階級社会の本質を暴こうとしたウェルトミューラーの斬新な視点、そして貧困と格差の問題や右翼と左翼による政治闘争が激化していた当時のイタリアの社会情勢が背景にあったからだと言えるだろう。  マドンナ主演のリメイク版『スウェプト・アウェイ』が大失敗した理由は、こうした階級闘争に対する着眼点と社会的背景の決定的欠如だったと言えよう。『流されて』という作品は、70年代の時代と社会が求めた映画だったのだ。そして、当時この作品を“女性嫌悪的”と批判した人々も、ストーリーの表層ばかりに目を奪われてしまい、その真意を見抜くことが出来なかったのである。  あくまでもヒーローは労働者階級を、ヒロインはブルジョワ階級を象徴する存在であり、決して男性と女性のジェンダーを題材にした物語ではない。そこを見誤ってしまうと、この物語は単に男性の誇大妄想を描いただけの>ポルノ映画となってしまうはずだ。
 ある日、ラファエッラが寝過ごしているうちに、友人たちが近くの入江へと遊びに出かけてしまった。彼女は友人たちと合流すべく、ジェンナリーノにモーター・ボートを操縦させて入江へ向う。小さなボートで行くには遠すぎるというジェンナリーノの反対を押し切るラファエッラ。案の定、海の上でボートのエンジンが故障してしまった。  一昼一夜漂流したボートは、やがて南海の楽園とも言うべき無人島にたどり着く。ジェンナリーノにいちいち指図されることに腹が立ったラファエッラは、単独で行動する道を選んだ。海に潜って魚や海老を採り、火を起こして空腹を満たすジェンナリーノ。島に残されていた小屋を発見し、そこで寝泊りすることにする。
一方、ブルジョワ育ちで何もすることが出来ないラファエッラは、無人島をただ歩き回るだけで心身ともに疲れ果ててしまう。自給自足の生活をしているジェンナリーノを見て、雇い主である自分にも分け前をよこせと憤慨するラファエッラ。相変わらず傲慢な彼女に冷ややかな目線を送るジェンナリーノ。やがて空腹に耐えられなくなったラファエッラは、ジェンナリーノの身の回りの世話をすることを条件に食事を分けてもらう。  しかし、やはりどうしても支配階級の意識が抜け切らないラファエッラ。そんな彼女を、ジェンナリーノは遂に力ずくで征服した。彼の荒々しい野性的な肉体に溺れていくラファエッラ。彼女はそれまでに知らなかった男性の魅力を感じるようになった。2人は奇妙な愛情と信頼関係で結ばれていく。それはまるで、人類原初における男女の姿のようだった。   ある日、沖に1隻のボートを発見したラファエッラだが、島での生活を失いたくない彼女はボートをわざと見過ごす。しかし、やがて救援隊が島へと到着した。このまま島に残りたいと言い張るラファエッラ。ジェンナリーノは文明社会に戻ることによって、2人の真実の愛を確かめ合おうと説得するのだったが…。
 ウェルトミューラーが描こうとしたのは、結局のところ階級闘争というのは人間そのものが文明以前の原点に立ち戻らねば実現できないということなのだろう。最終的は元の木阿弥、という皮肉なクライマックスがそれを象徴しているように思える。しかも、あれだけ男性的魅力に溢れていた理想家のジェンナリーノにしても、一皮剥けば単に女房の尻に敷かれたダメ亭主。資本主義の原理を振りかざすブルジョワも、万人平等の理想郷を掲げる社会主義者も、ウェルトミューラーにしてみれば同じ穴のムジナということか。いずれにせよ、様々な論議を誘発するような奥の深い作品と言えるだろう。
 製作を担当したロマーノ・カルダレッリは、ウェルトミューラーとは“Mimi metallurgico ferito nell'onore”以来の付き合い。手掛けた作品はとても少なく、その素顔についてもあまり知られていない。製作過程で一切の口出しをしない良心的なプロデューサーだったらしく、ウェルトミューラー自身も“彼のような素晴らしい製作者が、僅かしか作品を残していないということが理解できない”と語っている。  撮影にはイタリアを代表する大御所カメラマン、エンニオ・グァルニエリがクレジットされているほか、一連のダリオ・アルジェント作品で有名な編集マンフランコ・フラティチェッリや、ウェルトミューラーの夫でもある大御所美術デザイナー兼衣装デザイナーのエンリコ・ヨブなど一流のスタッフが集結。  また、日本でもお馴染みの大物作曲家ピエロ・ピッチョーニによる、スウィート&ソフトなボサノバを中心としたBGMもお洒落で心地良い。  主人公のジェンナリーノとラファエッラを演じるのは“Mimi metallurgico ferito nell'onore”以来、ウェルトミューラー作品の主演コンビとして活躍したジャンカルロ・ジャンニーニとマリアンジェラ・メラート。ジャンニーニはご存知の通り、イタリアを代表する名優としてハリウッドでも活躍するようになった。今ではすっかり銀髪の似合う渋い紳士となったが、当時のギラギラとしたエネルギッシュな演技は強烈。マストロヤンニとはまた違ったタイプの、野性味溢れるスケールの大きな役者だった。  一方、マリアンジェラ・メラートも個性的なマスクとパワフルな演技で人気を集め、『フラッシュ・ゴードン』(80年)や『ダンサー』(88年)などのハリウッド映画にも出演。イタリアではシルバー・リボン賞の主演女優賞を5回受賞し、イタリア版オスカーと言えるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では主演女優賞を4回、功労賞などを3回も受賞しているという大女優だ。  この2人以外の役者はほとんど出番のないような感じだが、ジェンナリーノの上司ピッペを演じている名脇役エロス・パーニと、ジェンナリーノの口やかましい女房を演じているイサ・ダニエリの2人も印象的。ダニエリはウェルトミューラー作品の常連としても知られている。